「これ、プログラムでなんとかできない?」
その言葉を聞くたびに、胃がキュッと縮まります。
確かに、できるかもしれない。
だけど、それは「なんとかなる」から「なんとかするべき」への不自然な飛躍であって、私が技術者であるというだけで無限の責任を負わされるのは、ちょっと違うでしょ。
プログラムを書いて、数時間かかる作業を数秒で終わらせた瞬間は、まさに至福です。
自分の知識と工夫で「時間」という資源を生み出す感覚は、エンジニアにとっての快感の一つだ。
でも、その空いた時間が「余剰」とみなされて、追加業務で埋められる瞬間を目の当たりにしてきました。
(私も何度か経験があります)
まるで、努力の対価が“自由”ではなく、“さらなる義務へのバッファ”になっているかのようだ。
そもそも効率化の目的は“自分の負担を減らす”ことだったはず。
いつから“他人のために自分の空き容量を提供する行為”にすり替わったのでしょうか。
だから私は、自動化や省人化の処理は、なるべく意図的に隠すようにしています。
コードはさりげなく忍ばせて、表向きは「マニュアル対応している風」を演出します。
技術的には余裕でできるが、それを“見せない”という選択をするのは、私にとってのセルフディフェンスです。
なぜ隠すのか?それは、「技術=無限のリソース」と誤解されたくないからです。
エンジニアのスキルは魔法じゃないし、ましてや有象無象が利用できる便利屋でもない。
ツールを使って自分を守ることは、むしろ本質的な自衛手段といえるでしょう。
技術の恩恵は、まず自分のために使うべきです。
空いた時間は、頭を休めるためでも、次の創造につなげるためでもいいです。
そこに「君、暇そうだからこれもよろしく」なんて言われた日には、こっちの人間性がバグを起こしかねないww。
効率化は、誰かの期待に応え、満たすためのものじゃないです。
自分のペースで、自分の時間を守るためのものです。
同じようなモヤモヤを抱えているエンジニアがいたら、声を大にして伝えたいことがあります。
「自動化は、自分の自由のためにある」
それだけは、忘れたくないです。
無能へ擬態する令和の忍者となり、今日も出勤だわw。