自分の人生は自分のしたいようにしたいものです。
私の望みに反する人や事象は、できる限り排除してやりたい放題したいと考えています。
(無論、法律の範囲内でです)
そんな中でも、望む内容には分別が必要だと考えるようになりました。
自分でコントロールできるかどうか、ということです。
法律、仕組み、多数決での決定など、私だけではどうしようもない事が山ほどあります。
そう言った事は、最初から望んじゃダメだし、仮に叶わない事であっても諦めがつきやすいです。
(諦めがつきやすい、って発想が欠けていました。)
「法律は変えられないしね」
「多数決じゃ、しょうがないか」
「会社員は社会保険料取られやすい仕組みなんだから、額の引き上げがされても仕方ない」
と言った具合に、冷静に一線を引く事ができます。
一見「ただの冷めた諦め」に見えるかもですが、無理と見限った以上、その問題はノータッチor別の方法での解決を図る方へ流れていきます。
つまり、考える内容が「解決できそうな事」ばかりになります。
そのおかげで、望んだ事を高確率で実現できるようになりましたし、毎日が楽しいと感じています。
「解決できそうな事」なら、調べる気も湧きますし実践にも力が入ります。
理論と気持ちが一緒になれば、たいていのことは出来るでしょう。
できない現実はウザいしダルいし良いことがありません。
ストレス源は見ない聞かないに限りますね^ - ^。
メンタルヘルスで悩む人の多くは、「望んだところで個人じゃどうしようもない事」に悩んでいる気がします。
そりゃ、病みますよね。
どうすることもできないし、変わらないんだから絶望するしかないのもうなづけます。
だからこそ、自分の考え方を変えたほうがよいのです。
「望む内容に分別をつける事」は、いい大人でも必要なスキルなのかもしれません。
持ってないと同じ出来事でも感じ方で損しちゃいますね・・・。
線を引く動作は1歳から出来ましたが、この手の線引きはまだまだ未熟者なようです。
考え方で感じ方をハッピーにするのは誤魔化しっぽいですが、私が笑えていれば良いんです。
こんな部分でも課金しない私って、筋金入りのケチですなww。